「ありがとう」
普段は、誰かから何かしてもらったときに言う言葉と考えてしまいがちだ。
小さい頃、母親から「ほら、『ありがとう』は?」なんて促されて「ありがとう」と言った記憶がある人もいるだろう。
だから、ありがとうは「自分以外の誰かに対していう言葉」というイメージができてしまい、ずっとそう思い込んできた。
ありがとうの語源を調べると「有り難し」、つまり、見ず知らずの人から助けられる経験なんて、普通はできないから「ある(起こる)ことが難しい」。
それが短縮されて「ありがとう」と言われるようになったというのだ。
しかし、本来の意味は違うものだという話しがある。
「ありがとう」と言われ始めたのは室町時代以降で、それ以前は人に対して使われる言葉ではなかったというのだ。
人ではないもの、神様の為される奇跡に対して「ありがとう」と使っていたらしい。
もちろん、当時の言葉は現代と違うのだろうから、言い方やアクセントなども違っていただろう。
現代との違いを差し引いても、ありがとうが神様に対して使われていた言葉だというのを知る日本人はほとんどいない。
学校で教わることをもとにすれば、私たちは両親の間に「何億分の1」という確率で生まれてきた存在だ。
父親が持つ別のDNA(精子)が、母親のDNA(卵子)と結びついていたなら、現在生きている自分自身は存在していなかったからだ。
だから、今自分自身がこの世に存在していること自体が「ありがとう」なのだ。
にもかかわらず、私たちは自分自身に対して「ありがとう」と思い、慈しんでいるだろうか。
普段の生活で湧きおこる感情に振り回され、目まぐるしく変わる思考にストレスを感じ、自分自身を蔑ろにしてはいないか。
お風呂に入るとき、寝る前、一日頑張った自分に「ありがとう」を言っている人はほとんどいない。
自分以外の誰かが自分を傷つけたら罪に問われるのに、自分で自分を傷つけても罪には問われない。
罪に問われないからと、これからも傷つけるのか。
その行く先を考えるときが来ている。